歴史

鹿王院 本庭

仏牙寺 鹿王院

鹿王院(覚雄山大福田宝幢禅寺鹿王院)は、臨済宗の寺院で、足利義満が1379年(康暦元年)に建立しました。義満は夢の中で多聞天と地蔵菩薩が寺を建立すれば寿命が延びると語り合うのを聞き、自身の延命を祈願して寺を建立しました。開山(初代住持)は春屋妙葩で、寺の名前は「覚雄山大福田宝幢禅寺」と名付けられました。

鹿王院は宝幢寺の開山塔として建立され、鹿王の名前は野鹿の群れが現れたことと、釈迦が最初に説法を行った場所である鹿野苑の鹿王の故事に由来しています。鹿王院は宝幢寺の唯一の塔頭として、宝幢寺の住持を幕府に推挙したり、鹿王院の下に所属する春屋門派の15カ寺の末寺の住持の任免権や全国に散在する荘園の管理を行うなどの実権を持つ春屋門派の拠点寺院・本院の役割を果たしました。

宝幢寺・鹿王院が最も栄えたのは15世紀末から16世紀前半で、義満をはじめ、義持・義教・義政ら歴代将軍の御成りがありました。しかし、1468年(応仁2年)の応仁・文明の乱の戦火で嵯峨一帯が焼失し、宝幢寺の再建は実現せず、鹿王院だけが再建され、宝幢寺の格式を継承しました。