けんけいげんりん

賢渓玄倫和尚像

鹿王院第11世 中興虎岑の師 1661年(寛文元年)8月4日示寂 世寿55歳 父は豊臣秀次・徳川家康の御殿医で、香道に通じ『徒然草抄』を著した秦宗巴です。賢渓は1653年(承応2年)から同3年にかけて対馬の以酊庵で修文職を勤め、日朝通交の日本側外交事務を担当しました。1655年(明暦元年)には4代将軍家継の襲賀の朝鮮通信使が来日しました。
賢渓玄倫和尚像
開基足利義満像